こんにちはいいお天気ですね。田島列島『ごあいさつ」

こんなにも読んでよかったと思える漫画は数少ない。さわやかな筆致で描かれる物語は読みやすいのにとても重い。読んだ後田島列島さんはとても優しい方なんだと思った。

 

ごあいさつ

 昼ドラのようなドロドロな話も田島列島にかかればさわやかな夏になる。ドラマのような話は自分とは関係ないことだと思ってしまうが実際には誰もが物語の登場人物である。

私はまだ子供だから関係ない、私よりふさわしい人がやればよいと思い他人ごとにしてしまった場面は人生に何度かある。子供だから、男だから、日本人だからと自ら他人ごとにしてしまっている。「昼ドラなんて土器」なのである。物語はその辺に転がっている。

 

官僚アバンチュール

 もう私も子供じゃないから知ってる、恋愛相談が相談でなんかないことに。恋愛相談は自らの気持ちを鼓舞しているハカなのである。恋する乙女に他人はいらない。相談された側は心配してしまう。恋愛相談は相談された側にはほぼノーメリットである。「心配なんかするなよ」って言われたらそれまでだがそりゃ心配するよ、人間だもの!って思っていると「優しいんじゃなくて基本的に他人の能力を信用していないだけ」と姉からのパンチライン。姉カルマがそこにはいた。確かに他人事は他人事とできたら生きるのは楽だ。でもそれだと関わり合いがない。人間の心配や共感する力は素晴らしい技だ。姉カルマの子のパンチラインに大したアンサーは「早くもう知らんって言える人間になりたい」である。これがsayちょうどいい ちょうどいいー

 

おっぱいありがとう

 昔はあんなにありがたがっていたのに今ではなかったことになっている。偉そうな顔した政治家も目の上ブルーなおばさんもみんなおっぱいをすっていたのだ。人間には大した差はない。大した差がないし大したことがない人間たちでこの社会は成り立っている。しかし世の中は均等ではない一面もある「世の中をくるくる回すってことなのよ。世の中が均等になるように」世の中が勝手によくなることはない。少しずつみんなが行動を起こせば絶対世の中はよくなる。そのためには理解しあうことが必要 その第一歩はおっぱいなのである。私からも言いたい!おっぱいありがとう

 

お金のある風景

 お金がある=幸せではない。でもお金があるに越したぁことはない。「信用って何?自分が損しないためのもの?」人間関係は損得だけでない。損得だけで生きるならお金がすべてである。8000円のドロップキック如く30万円の5円甲冑、完成しても人間の感情は変わっていくものだ。いや変えられるものなのである。感情にはけ口が代替できるのが人間のいいところ。

 

ジョニ男の青春

 人の良さはとっさの時にわかる。

ミサイルとは人によって違う、妊娠発覚がミサイルな人もいる。世代ではない私ははらたいらとは何かを調べた。

 

花いちもんめ

 損得な関係で付き合う人たちの話。愛とは様々な形。本来の愛とはおばあちゃんの無償の愛。追ってけ追ってけ追ってけよ、ほら手と手と手と手。

 

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 「この気持ちに当てはまる名前はまだ見つからない」少年はこれから自分と向き合っていく。人は誰しも初めてやることがある。私の話になるが、幼いころ父が足をつっているのをみて足がつった時に私は足をつったと言えるのか心配だった。もしかしてこの前のが足がつったということなのかと思い込んだりもしていた。だが無事中学になり初めて足をつった。そのとき痛すぎて涙が出た。つった時の対処法も何も知らず100パーセント中の100パーセントで喰らってしまったのだ。痛すぎたが「つった」という言葉と体験が繋がった。つったと言えないかもと心配する必要はなかったのだ。きっとこの少年も恋心や片想いという言葉は知っている、だがこれがいつ繋がるかはわからない。反対に繋がってしまってはいけないと考えてしまうものに繋がることがあるかも知れない、例えば同性愛や人から嫌われる性癖とか。それは大人が暖かく見守ってあげようよ。

 

田島列島「ごあいさつ」を読んで

 人が一人一人寄り添っていくこと、少しだけ優しさを持てば世界は良い方向へ進んでいくことが田島列島さんの望んでいることなのかもと考える。粋な会話劇でウィットに富んでいるそんな話。この世界のどこかにこんな人たちがいるんだろうなと思いながら読んじゃう。

 この話に出てくる人たちは純粋な人が多い、自分の興味を止められないことは悪いことでない。子供だから良くて大人だからダメなんてこと言いたくないじゃん〜だったら大人も子供にダメって言っちゃダメだよ〜 みんなで優しくしていこうよっていい漫画。やさぐれそうになったらまた読む。

 

 

 

 

 

 

 

 

斬新なバトル『忘レ物探偵』

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アイアンナイト、レッドスプライトの屋宜先生の新作読み切り「忘レ物探偵」

アイアンナイトが好きすぎる私は期待をしていたが期待に答えてくれたのはジャンプらしくないという点のみかもしれない。

私がなぜアイアンナイトが好きなのかというとジャンプにはふさわしくないダークファンタジーな世界観の中で主人公が市民のヒーローでもなく、精神的にもヒーローでない、そんなたまたま力を持っただけにすぎない男の子が正義のために力を振るうことを決めたそのストーリーが好きなのである。

 

忘レ物探偵の良いところはバトルの斬新さである。相手の目を見たら勝ちな探偵は鏡やガラス玉を使って相手と目を合わせる。アイアンナイトでは弱いダーク主人公、レッドスプライトでは能力者全員電気系と毎回斬新さはある。それが読者にハマらないのが屋宜先生なのである。

 

忘レ物探偵は目で見た者の記憶を消す能力を持っててその能力は常に働いてしまうのである。強い能力であるがもう少し幅が欲しいと思ってしまうよなぁ、この能力であるならガンガンバトルでなく人情的な話が向いてるのではと思ってしまう。忘れ物探偵での敵は警察であったという屋宜先生大好きパターン。こういうところが好きなんだけど邪道な王道過ぎて飽きられちゃうとも思う。

 

屋宜先生の魅力はポップな絵柄と希望が絶望に変わる演出と少しのワードセンスである。以上から導き出される答えはダークファンタジーを描くことだろう! 屋宜先生お願いします!!

 

好きなものを好きといえるようになったのはいつからだろう

 

「月・水・金はスイミング」という大好きな作品について話したい。

福島鉄平先生によるジャンプに掲載された43Pの読み切り作品である。

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どこが好きかというとまず二人の距離感である

女の子は有川マドカさん 男の子は千葉オサム君

同じクラスの中学三年生 通ってるスイミングクラブも一緒

でもそれだけ 

 このナレーションで心をつかまれた同志は必ずいる。読んだ人は知っているがこの二人の関係性は本当に「それだけ」なのである。でも「それだけ」でも気になってしまうのが中学生なのだ。

 この作品の好きなところである主人公オサム君の気になり方の演出がさすが「サムライうさぎ」の福島先生だ。オサム君はマドカさんの会話をこっそりと聞き、こっそりと胸の内で返答して考えが同じで喜んでしまうのである。これは恋心なのか、、、答えはNOだ。ただ同じスイミングに通っている女の子のことを特別に感じているだけである。

 オサム君はマドカさんがスイミングをやめることと知ると「とてもつまらない」思った。中学で会えるし、高校も同じなのに。。。 オサム君にとってスイミングは自分だけがしている特別なことであり、いってしまえばマドカさんとの二人だけの秘密なのである。この言葉はとても高い攻撃力を持っていることはスカウターを使うまでもない。

マドカさんには会えないと思っていた次のスイミングの日に予想外のエンカウントをする。その時にオサム君は「ひとりじゃつまらない」と口に出してしまう。ここでオサム君は自分が口にした言葉のおかしさに気づく。(別に一人ではない。っていうかもともとマドカさんとはなんのつながりもない)しかし同じ中学というつながりは町のスイミングスクールでは意味を持つのである。それと同様男の子が女の子に興味を持つ理由としては結構なものである。

 

最後 作品の締めにはこうある

 この子はオサム君 この子はマドカさん 

同じクラスの中学三年生 通っていたスイミングクラブも一緒

でも それだけ

一緒に遊ぶこともなく会話を交わしたこともほとんどありません

けれども けっして遠くはない

そしてそれは きっとこのさきもーー

 けっして遠くないのよ! だって同じ中学出身で同じスイミングクラブいってるんだもん!!そりゃ遠くないよ!! 

 

中学生ってさ一番男女の関係が難しい。男の子が女の子が好きなんて絶対言えないし純愛も鼻で笑わなきゃいけないのである。でもそのルールが適用されるのは学校でありスイミングに通っているオサム君には適用されないのだ。もう学校という世界を俯瞰で見ることのできる大人の読者がオサム君のことを大好きになってしまう理由であると思った。

 

大人になると自分の好みもある程度分かってきてある物や人を見たときに全貌を理解しなくても自分の好みであるか好みでないかは判断できる。しかし中学生であるオサム君にはまだ自分がどういうもの好きで、どういう人が好きなのはわからない。若い世代にとって出会いには打算のようなものがない。大人になってしまった多くの人は忘れてしまっているのかもしれないが自分が胸を張って何かを『好き』といえるようになるまで時間がかかったと思う。なぜなら「これが好き」といったら多くの人は「なんで好きなの?」と返されそこでは「なんとなく?」といった回答は期待されていなくしっかりとした言語による説明が求められ、答えを見つけるまで時間がかかったことだろう。

「月水金はスイミング」ではなにかを好きになったきっかけやなにかを好きになった過程といった事象の心の動きを繊細に慎重に切り取っていて、そこが多くの人に当てはまるのである。これが多くの人がこの作品に心を打たれた理由である