ミルクボーイの面白さが分からなくて悲しい 2019M1感想 

またこの季節が来た 漫才師たちの甲子園であり就活であるⅯ1だ。

 

敗者復活  

 個人的にはこんな感じ。初めてランキングつけてみて新しい発想や突飛な展開、今までのルールを壊す漫才が好きなことに気がついた。東京ホテイソンと錦鯉は舐めていたらカウンターを食らった。

決勝

決勝はこんな感じ、一番のニューヨークはかわいそうだと思った。からし蓮根はレペゼン熊本で応援したいしかまいたちは相変わらず最強で誰も勝てないし思ってし和牛は巧みすぎ見取り図はみんなが見取り図を知っていくほど面白くなっていくと思うしオズワルドは間接照明のような明るさですえひろがりずは獅子舞のようなめでたいものを見られたという感想である。インディアンズはアンタッチャブルを超えてほしいと思った。個人的に笑ったのはかまいたちだが好きなのはオズワルドだ。落ち着いたテンポでおかしな発想をしていくという漫才はずっと見ていたいなと思った。オズワルドはM1のような短距離走向けではないと感じた。ぺこぱのだれも傷つかない漫才は素晴らしい、ジャルジャル味を感じられた。みんな面白かったし工夫があったし弛まぬ努力をしてあの舞台に立っていることが伝わってエネルギーを受け取った。

 しかしミルクボーイの面白さがわからないっっ!!まずミルクボーイを非難しようと書いていないことは分かってほしい。ミルクボーイがあんなにウケていて自分が全く笑えなかったことに恐怖した。このままではほっぺを引っ張り泣きながらミルクボーイを見てしまう。まずミルクボーイはリターン漫才と呼ばれているらしく角刈りの内海さんが持つ偏見が面白い部分だ。この肯定と否定を繰り返しワードを引き立たせるこのシステムは発明であると思う。しかしそのワードというのは偏見によるものだが誰しもが思ったことのあることで共感が笑いになっている、いわばあるあるネタである。このリターン漫才はあるあるネタをうまく漫才に落とし込むことができる発明である。ミルクボーイに対して笑えない私は漫才には共感ではなく新たな発想や斬新な目の付け所を求めていたことが解った。

 それからミルクボーイは難波風の吹くべしゃり漫才である。べしゃり漫才で優勝したのは2005年のブラマヨ以来ではないか。このことを思い出したときに私はブラマヨのボーリングの漫才でこの世の漫才師でこの人たちが一番面白いのだろうなっと子供心に確信した。ブラマヨとミルクボーイ何処がそんなに違うと感じてしまったのだろう。ブラマヨにあってミルクボーイにないもの、まず一つが会話も中にある可笑しさだ。べしゃり漫才といってもミルクボーイは会話をしない。マッチョが伝聞役でしかないため会話による可笑しさがないだ。ミルクボーイのこれから面白いこと言いますのおぜん立てが好みではないのだ。それからミルクボーイの漫才には裏切りがなくブラマヨには吉田が変なことを言っていたはずなのに小杉がヒートアップしすぎてビンタという伝統芸がある。ミルクボーイはずっとパターンでいて想像つく内容を言われるから面白くない。我は突飛が欲しい! 

 

 ミルクボーイがはまらない理由に突飛な発想が欲しいからと述べたがボケである偏見が想像できてしまうが一番の理由だと思った。映画でも漫画でもお笑いでも先がどうなるかと想像しながら楽しむタイプと与えられたものを全力で楽しめるタイプ2種類いる。前者である私はいろいろボケを想定してしまい出されるボケがあるあるネタであるから少し拍子抜けしてしまうのである。私はハマらないがミルクボーイはネタはとても上手でつかみももっと見たいし正直「サイゼリヤ」のネタのねずみ講ロイホ笑った。